バスケットボール男子日本代表の新鋭・ジェイコブス晶選手。
2024年パリ五輪の日本代表メンバーに最年少で選出され、注目を集めました。
そのジェイコブス晶選手はアメリカ人の父と日本人の母を持つハーフです。
幼い頃に家庭の事情でアメリカに渡り、17歳までユースや高校でプレーし、新型コロナ感染拡大の影響を受け来日。
トライアウトを経て、横浜ビー・コルセアーズに入団。
現在はアメリカ・NCAAディビジョン1の強豪・ハワイ大学で活躍しています。
そのジェイコブス晶選手に対して、筆者には一つ気になることがあります。
それは、ジェイコブス晶選手が「日本語が話せるのかどうか」ということです。
この記事では、ジェイコブス晶選手は「日本語がどれくらい話せるのか」や「どうやって日本語を学んだのか、勉強法は?」などについて調べました。
それでは、どうぞ!
バスケ男子日本代表・ジェイコブス晶は本当に日本語を話せるのか?
ジェイコブス晶選手には日本人の母がおり、母とのコミュニケーションはいつも日本語だったそうです。
日常会話のほとんどが日本語ということで、ジェイコブス晶選手の日本語力は非常に高いものがあります。
神奈川県横須賀市で生まれたジェイコブス晶選手は、アメリカ人の父と日本人の母の間に誕生したハーフです。
生後間もなく、家庭の事情でアメリカに渡ったジェイコブス晶選手は、2020年途中まで英語が母語のアメリカで生活を続けていました。
その後、2020年の暮れに日本に帰国し、祖母の家がある横浜市戸塚区に拠点を置きながら、プレー環境を得る理由で日本でのプレー継続を選択しました。
ジェイコブス晶選手は当時16歳、「怖いもの無しの感覚」や「俺はもっとできる!」という思いが良い意味で功を奏したのかもしれません。
逆に筆者が16歳だったとして、何かに一歩を踏み出す勇気としてそのような大きな決断ができたかどうかと問われれば、答えは「NO」です。
現に中学3年生の頃に「地元の高校野球の強豪校に行きたい」と思っていたのですが、親父にその思いを切り出せなかった過去があります。
実際その高校に進学し、活躍できたかどうかは不明ですが、この経験から「自分の気持ちを正直に伝え、後悔の少ない人生を歩む努力」をしなければ、一生浮上できない人生を歩みかねないということを学んだのです。
日本に残る決断をしたジェイコブス晶選手にとってのバスケットボールというスポーツの「存在の大きさ」が伺えますし、それまで努力したのにも関わらず、脚光を浴びられなかった経験があったのかもしれません。
ジェイコブス晶選手の祖母の自宅が横浜市にあったということで、普段から「日本」という国が身近にあり、日本で2016年にB.LEAGUEが発足し、国内のバスケットボールを取り巻く環境を好意的に受け止めていた側面もあったのではないでしょうか。
トライアウトを経て、横浜ビー・コルセアーズに入団し、その後、20歳だった2024年にパリ五輪バスケットボール男子日本代表に選出され、プレータイムを得ました。
日本バスケ界の新鋭・ジェイコブス晶の日本語力をチェック!
まだ20歳と非常に若く、今後の日本の男子日本代表を背負っていく存在として期待が大きいジェイコブス晶選手。
そのジェイコブス晶選手の日本語のレベルは「どれくらいなのか知りたい」と思う方も多いと思います。
下の動画は2024年6月下旬、パリ五輪を直前に控えた男子日本代表の第3次強化合宿でジェイコブス晶選手が取材を受ける様子です。
ジェイコブス晶選手の話す日本語を初めて聞いたのですが、想像以上にネイティブで正直驚いてしまいました!
英語も流暢に話すだけでなく、日本語も日常生活に支障のないレベルであり、その質は非常に高いことが分かりました。
日本語を話せることが日本代表の他のメンバーとコミュニケーションを図る上で大きなプラスに働くわけですし、それがバスケットボールのプレーの質向上に関わってくることを考えると、日本代表選手としての今後の飛躍の可能性は高まるのではないでしょうか。
充実したプレーに繋げるためには、チームメイトとのコミュニケーションが必要不可欠となる中、このあと最終12人のメンバーに残り、パリ五輪の舞台でプレーするのですから、ジェイコブス晶選手のバスケ以外のポテンシャルは計り知れないほど高いのではないでしょうか。
ジェイコブス晶はどうやって日本語を学んだのか、勉強法は?
ジェイコブス晶選手は幼い頃にアメリカに渡っているため、英語圏内での生活時期が長かったようです。
それでも上記の動画を見る限り、日本語を聞き取る力・話す力は一定以上のレベルだと感じられました。
バスケットボールの腕前も一流である上、英語と日本語を巧みに操る能力の高さに感嘆しています!
一流のアスリートはその競技だけでなく、「正しく努力する力」も兼ね備えているのかもしれませんね。
ジェイコブス晶選手に日本語を教えたのは、ジェイコブス晶選手のお母さんだそうです。
アメリカ時代から、母親との自宅でのやり取りのほとんどは日本語だったそうで、それがきっかけでジェイコブス晶選手は日本の文化にも興味を持ち始めたとのことです。
子どもの頃から「日本語による日常会話は当たり前」という生活環境で育ったジェイコブス晶選手。
このことから、子どもの頃の生活環境は重要であり、その人の「それ以降の人生」や「人間的な成長」、「物の考え方」に大きな影響を与えるのだと感じさせられました!
筆者も、幼少期からの野球経験が「先を読む予測力」、「近い未来から物事を逆算して考え、今何をすれば良いのか洞察する力」が養われたのではないかと感じます。
ジェイコブス晶選手のこれまでの歩みから、スポーツが人々の生活にもたらす「好循環」のようなものが感じられ、スポーツがもっと好きになりました!
「好きこそ物の上手なれ」という言葉がありますが、その通りにバスケのスキルアップや日本語の習得に励んでこられたのではないでしょうか。
失意のジェイコブス晶を支えた母の日本語とは?
ジェイコブス晶選手は16歳だったコロナ禍の2020年12月、一時帰国として日本に帰国しました。
当時は世界中で新型コロナウイルスが感染拡大し、アメリカでは練習環境を確保するのも苦労したそうです。
日本に帰国した際、ジェイコブス晶選手が驚いたのはこういった状況下でも「日本だったら、体育館でバスケが出来る」ということだったようです。
それがきっかけで、日本に残る決断をしたジェイコブス晶選手。
その際、お母さんから言われた次の言葉を今でも大切にしているそうです。
「これまでアメリカですごく努力しても見てもらえなかったけれど、
それと同じ努力を日本でも続けなさい。
見てくれる人が1人でもいれば、うまくいくから」
Number Webより引用
筆者はこの言葉から、「誰か1人に認めて貰えればいつの日か道は開き、結果が出なくても、常に前向きに努力を続けることの大切さ」を教わりました。
ジェイコブス晶選手のお母さんが息子に送った言葉は非常に中身が濃く、若者の今後の人間形成においても素晴らしいメッセージだと感激しました!
この言葉を胸に、B.LEAGUEの横浜ビー・コルセアーズに入団した後、すぐに強化指定選手に登録され、活躍。
その後、パリ五輪男子日本代表にも最年少で選ばれ、長身シューターとして日本国内でも広く認知される存在に駆け上がりました。
まさにシンデレラボーイ的な人生を物凄い速度で進んでいる印象を受けるジェイコブス晶選手ですが、「人生いつ何が起きるか分からないから、自分の考えを整理・明確化した上で努力を続けること」の重要性を改めて感じました!
ジェイコブス晶選手にとってバスケットボールだけでなく、日本語の習得においても同じことが言えるのではないでしょうか。
習得した日本語生かしながら、日本代表合宿や代表選考を乗り越え、パリ五輪での出場に漕ぎ着けたのですから、まさに「頑張る時はいつも今!」というマインドで日常生活を送っているのではないでしょうか。
ジェイコブス晶選手には、もともとバスケットボールIQやポテンシャルは高いものがあったのでしょうが、運命的な部分でなかなかチーム関係者の目に留まらなかっただけだと思われます。
現在は、NCAA1部のハワイ大学でプレーし、将来は世界最高峰リーグのNBA挑戦を目標に汗を流しています。
若きスター候補・ジェイコブス晶選手の今後の活躍から目が離せません!